Q&A🎤


身内友人のためのQ&Aコーナーです。

音楽のことがイマイチ分からない…💧」と
しょっちゅう言われるので
どうぞこのページを参考になさって下さい♪

Q&A🎤

〜あんたの疑問に答えます🎵〜
音楽ジャンルは「ポップス」ではない?

hidekiの音楽は基本的にロックです。セールスを目的とした楽曲制作をしていないため皆さんが普段耳にしているであろうトレンディーなポップスとは別のジャンルの音楽となります。もともと「ザ・ビートルズ」の影響で作曲を始めたことからhidekiの音楽は60年代〜70年代の洋楽に近く、国内でいえば井上陽水さんに近いかもしれません。

名義は「2つ」?

hidekiは「ペンギンの知らない音楽会」という名義からもアルバムを発表しています。つまりW(ダブル)名義です。「hideki」名義では11曲以上の大衆的なアルバムを発表していますが、「ペンギンの知らない音楽会」名義では6曲前後の個人的なアルバムを発表しています。

「コンセプトアルバム」って何?

hideki名義から発表しているアルバムは全てコンセプトアルバムです。コンセプトアルバムとは一つのテーマのもとに作られた短編小説のような(起承転結がある)アルバムのことです。1967年にザ・ビートルズ〈ポール・マッカートニー主導〉が制作したアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が不完全ではありますがそのはしりであるとされています。ただコンセプトアルバムはクラシック同様「芸術作品」として捉えられ、商業的要素を含まないことから大手レコード会社などからは敬遠される傾向にあり、音楽業界ではなかなか手を出せるシンガーソングライターがいない、というのが現状です。その未開拓に近い分野に「個人レーベル」でもある自由な立場のhidekiが舌なめずりしながら😋挑んでいるというわけです。

編曲」って何?

「編曲」とは作った曲をロック風やジャズ風…など雰囲気を変えたり、イントロを作ったり、その曲を模様替え(アレンジ)することです。バラードとして作ったつもりがリズムを変えてみると「あれ?これメッチャかっこいいジャズやん❣️」と思うようなことはしょっちゅうで、編曲者がそういった案を出す役となります。また間奏メロディーを作るのも編曲者の仕事であり、ジョン・レノンのように「あとは頼む!」と丸投げしてしまうシンガーソングライターも少なくありません。ちなみにhidekiの場合は30代前半まで「編曲」という用語を知らなかったため意図せず編曲技術が身に付く形となりました。あとになって「オレ編曲者の仕事までやってたんかい💢」と自分の無知を嘆いたのは言うまでもありません…。

なるほど〜🎵

アーティスト名は小文字の「hideki」?

アーティスト名「hideki」は2022年の春から使用しています。それまでは「秀機」と表記していましたが様々な媒体のデジタル化に伴いあちこちでフリガナを打つ必要性に迫られたり、海外需要も増えてきたことから将来的な混乱を回避すべくローマ字で統一することにしました。ちなみに「HIDEKI」(大文字)としなかったのは単に本人がパソコンの“シフトボタン”を押すのを面倒くさがったためです…。

「2016年、2017年、2018年」の経歴は空白?

hidekiは2015年7月(37歳)に配信デビューしていますが、わずか一年(38歳)で配信終了し次の再配信の2019年2月(41歳)までに3年近くの空白期間を設けています。実はこの時期、hidekiと同じようにアルバムの発表を見送ったミュージシャンも少なくありません。というのも2015年〜2019年の音楽業界はアナログ時代の終焉から配信時代の到来という時代の過渡期にあたり、CDを作ろうにも工場や流通ルートが次々閉鎖され、配信しようにもまだまだ配信ストアが十分とは言えず(今は50社以上だが当時は10社もない)といったふうに個人レーベルのミュージシャンたちは立ち往生を強いられる状態が続いたんです。それが2019年から配信システムの方が徐々に整い始め、翌2020年のコロナ禍でアナログツールが一斉に淘汰されたことから「CD時代は終了。今後は配信のみ」という判断がついた、というわけです。この『時代の激変』にドンピシャで巻き込まれたためhidekiは『デビューは2015年だけど実質的な活動は2019年から』という妙な経歴になっています。

「ペンギンの知らない音楽会」の由来は?

「ペンギンの知らない音楽会」というプロジェクト名は、『ペンギンの交ざる音楽会』(2ndアルバム収録)の歌詞に出てくるペンギンが全く気付かない音楽会という意味でhideki自身が決定しました。あくまで「hideki自身が別の角度から音楽を制作するプロジェクト(企画)」という意図で発足したため、グループ名と勘違いされないようこのような風変わりなプロジェクト名にしています。

「ボーカルの才能」は無い?

hidekiのボーカルに関してはひとえに努力の賜物です。これに関しては誤解される方も多いのですが、hidekiの専門分野はあくまで創作分野(作詞作曲)でありパフォーマンス分野(ボーカル)に関しての才能はありません。ただし、ボーカル学校にトータル11年(8年+3年)も通い詰めていたため(そこまで練習するシンガーソングライターもいないため)その成果が元々の歌唱センスにプラスされていることは確かです。もしも歌手を目指している若者がある程度の歌唱センスを持ち合わせているのなら努力次第でhidekiくらいにはなる、と覚えて頂ければ幸いです。

ためになるね〜🎵

27歳からなぜすぐ「歌手」を目指さなかった?

27歳から作詞作曲を始めたhidekiですが、作った歌にボーカルを吹き込む(ボーカル学校に入所する)までに実に6年もの歳月が流れています。どうして6年間も歌おうとせずに作詞作曲ばかりしてたのかというと当時のhidekiはもう20代後半だったことから(配信時代じゃないので)そもそも音楽デビューが頭になく、さらには友人にすら内緒で作詞作曲をしていたため誰からも「歌って」と促される状況にありませんでした。そのためボーカルを吹き込むのは「10年後でもいいや♪」とまで思っていたのですが、ある時『40代に入ると加齢で声が出にくくなる』という話を耳にしたことから「今のうちに声入れとくか…💧」と渋々、33歳で自宅近くのボーカル学校に入所するという流れになりました。

初めての作曲は27歳じゃなく実は「17歳」?

27歳の誕生日から突然作曲を始めたhidekiですが、実はそれが初めてかと言えばそうでもなくさらに10年さかのぼった17歳(高3)の時に初めての作曲をしています。当時、同級生の女子を題材にhidekiはアイドルソングのような歌を3つ作曲しました。そのうちの1曲を聴いた音楽顧問がhidekiの作曲能力を最初に指摘したわけですがhidekiは遊び半分の気持ちが強かったため音楽顧問の「この曲いつ作ったの?」「どうやって作ったの?」という真剣な質問を笑って聞き流し、開花したはずの作曲能力とまともに向き合わなかったんです。しかし「そういやあの時なんでいきなり3曲も作れたんだろ…??」という疑問だけはずっと残っており、そんな過去があっての27歳からの唐突な作曲(再開花)であると考えられます。

どうやって曲を作ってる

hidekiはいつも電子キーボードで曲を作っています。多くのシンガーソングライターは何かの拍子に曲が浮かんだらその場で鼻歌を録音してピアノやギターで再現する、というやり方を取っているみたいですが、hidekiの場合はキーボードの前に座って鍵盤を叩きながら曲を生み出しています。もちろんhideki自身も他の作曲家同様、散歩中や入浴中に曲が浮かんだりすることもあるんですが「録音が面倒くさい😑」という理由からそのつど忘れるようにしています。偶然浮かんだメロディーを釣り上げるより、意図的な刺激で浮かび上がらせたメロディーを釣り上げる方が「刺激的💝」というのが当人の主張です。

音楽は独学?

hidekiの音楽は(ボーカル以外)すべて独学です。誰の助けも借りないまま1人で「曲作りとピアノと編曲」を学びました。「仕事をしながらたった1人で音楽を学べるものなの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これについては27歳から38歳まで独学に適した夜勤シフト(昼夜逆転生活)だったことが非常に大きく、休みの日によっては静まり返った夜の7時から朝の7時まで受験生のようにオニギリを食べながら鍵盤と向き合う、ということもしょっちゅうでした。人的・物理的な誘惑が僅かでも入る昼間の勤務をしていたらむしろ音楽はやっていなかったかもしれません。

そうだったんだね〜🎵

LIVEはしない?

hidekiは27歳からほぼ創作活動一筋でありLIVEのノウハウも人脈もないので今のところその予定はありません。繰り返しますがhidekiの専門はあくまで創作分野(作詞作曲)でありパフォーマンス分野(ボーカル)ではありません。ただ、30代の頃にスポットでLIVE出演した経験が何度もあるので人前で歌うことに関しては決して素人というわけではなくあくまで「要望がなければやらない」という方針です。hideki自身『シンガーソングライター』というより『スタジオミュージシャンである』という自覚が強いのもLIVEに積極的でない理由の一つです。ただ、老後に仲間内だけを集めて「ピアノ弾き語りライブをやる」という夢だけは持っています。

「夏」は歌わない?

毎年7月から9月までの3ヶ月間、hidekiは全く歌いません。実はhidekiに限らず夏にライブやボーカル収録を避けるミュージシャンは意外と多いんです。これは単に夏嫌いというわけではなく主に体調面によるものです。夏になると気圧の変化が激しくなりますが、気圧が上がると締め切った防音スタジオ内では耳閉塞感(耳が詰まった感じ)が頻繁に生じます。hidekiは特にこの症状が出やすく、日によっては1時間しかスタジオに入ってられません。また汗っかきでもあるのでカロリー消費が激しく気温の高い日に歌うとあっという間にスタミナを消耗し、まともに歌えなくなるんです。かといって冷房をつけて歌えば満足な発声も出来なくなるため、ことごとく夏に不向きな体質であるというわけです。よって10月から発声練習に入り、11月から6月まで歌うのが近年のスタンスとなっています。

「曲の合作」はしない?

hidekiは唯一「ことりゆう」と歌詞の合作(3rdアルバム/森の向こうの2355)をしています。この先も誰かと共同で歌詞を書くことはあるとは思いますが、曲の合作についてはおそらく一生ありません。理由は言うまでもなく配信上の都合です。CDやレコードは一度「歌」を記録してしまえば永久に残りますが、配信では合作している相手が「やめる」と言ってしまえばその瞬間にアルバムからの削除が可能となります。そのため(大手メジャーレーベルならともかく)個人レーベルで楽曲著作権を共有するのは「身内以外では難しい」というわけです。

デュエットソングは作らない?

ここだけの話、hidekiは芸術的観点からデュエットソングそのものに対して反対の立場をとっています。よって「冗談でも作らない」という姿勢です。

初耳だね〜🎵

子供用」のアルバムがある?

未発表ではありますが、実はhidekiには子供を対象に作詞作曲したアルバム(全11曲)があります。すでに作詞作曲も終えアルバムタイトルも付いているのですが、ボーカル収録中に「…やっぱ俺じゃねーわ!笑」と子供向けの歌唱法の難しさからhidekiがボーカルを辞退してしまったため一部関係者に惜しまれつつもアルバム制作は頓挫してしまいました。ただ決して「没」にしたわけではなく(完成されたデモ音源は存在しているため)あくまで「お蔵入り」という状態です。hideki自身は「いつか堀江美都子さんみたいな方に歌ってもらえれば…」と願っています。

「没」になったアルバムがある?

hidekiには「お蔵入り」などではなく完全にになったアルバムもあります。実は38歳の頃に「福岡」をテーマにアルバムを作ろうと試みたことがあり、それなりに曲も出揃ったのですが“感動が大キライ”という厄介な性格が災いし作業は一向に進みませんでした。テーマがテーマなだけにどう工夫しても感動的な流れになってしまうため企画から1年後、ついに「やーめた!」とアルバム制作を打ち切り、歌詞のプリントもビリビリに破り捨てて完全なとしました。この経験からhidekiが「故郷」や「地元」を扱ったアルバムを作ることは二度とないと推測されます。

ボーカル収録は「一発録り」

hidekiのボーカル収録はほぼ一発録りです。分割で歌っているのは『君なら大丈夫』(3rdアルバム収録)と『帰宅』(5thアルバム収録)のみです。hidekiには他の歌手のようにスタッフが付いてるわけでもなく、また高機能のスタジオを使用してるわけでもないのでボーカルの加工が一切できません。「それならば…」と多少音が外れようが生で歌ってる感じを出そうとデビューアルバムから一貫して一発録りの方針を取っています。当然ながら1曲につき歌う回数は他の歌手以上となりますが、完成すれば2度と同じものは録れない「生々しいボーカル」になっているというわけです。

元々はギター派?

YouTubeでは確認できませんがhidekiはギターも弾けます。というより元々はギター奏者です。しかしhidekiは(友人もご存知の通り)極度の面倒くさがり屋であり、やれ「チューニングが面倒だ」「弦交換が」「持ち運びが」…と自宅以外でギターを弾くことをことごとく拒みこれまでにステージ上でギターを抱えて歌ったことは一回しかありません。そのうち「ギターを弾くのも面倒だ…」と言い始めた矢先、ピアノ奏者であることりゆうSoLuaの2人がライブで鍵盤を叩きながら歌っている姿を見て「あ、オレもピアノにしよー♪」と38歳の時にギターからピアノに転向したという経緯があります。

次のページに続くよ🎵

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