身内と友人のためのQ&Aコーナーです。「音楽のことがイマイチ分からない…💧」としょっちゅう言われるのでぜひ参考になさって下さい♪
Q&A🎤〜あなたの疑問に答えます🎵〜
Q&A🎤
hidekiの音楽は基本的にロックです。セールスを目的とした楽曲制作をしていないため、皆さんが普段耳にしているであろうトレンディーなポップスとは別ジャンルの音楽となります。もともと「ザ・ビートルズ」の影響で作曲を始めたことからhidekiの音楽は60年代〜70年代の洋楽に近く、国内でいえば井上陽水さんに近いかもしれません。
hidekiは「ペンギンの知らない音楽会」という名義からもアルバムを発表しています。つまりW(ダブル)名義です。hideki名義では11曲以上、ペンギンの知らない音楽会名義では6曲前後のアルバムを発表しています。
hideki名義から発表しているアルバムは全てコンセプトアルバムです。コンセプトアルバムとは一つのテーマのもとに作られた短編小説のような(起承転結のある)アルバムのことです。1967年にザ・ビートルズ〈ポール・マッカートニー主導〉が制作したアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が不完全ではありますがそのはしりであるとされています。ただコンセプトアルバムはクラシック同様「芸術作品」として捉えられ、商業的要素を含まないことからレコード会社などからは敬遠される傾向にあり、音楽業界ではなかなか手を出せるシンガーソングライターがいないというのが現状です。その未開拓に近い分野に「個人レーベル」でもあるhidekiが舌なめずりしながら😋挑んでいるというわけです。
アーティスト名「hideki」は2022年の春から使用しています。それまでは「秀機」と表記していましたが海外需要が増えてきたことから将来的な混乱を回避すべくローマ字で統一することにしました。ちなみに「HIDEKI」(大文字)としなかったのは、単にパソコンのシフトボタンを押すのが面倒くさかったためです。
なるほど〜🎵
hidekiは2015年7月(37歳)に配信デビューしていますが、わずか一年(38歳)で配信終了し次の再配信の2019年2月(41歳)までに3年近くの空白期間を設けています。実はこの時期、hidekiと同じようにアルバムの発表を見送ったミュージシャンも少なくありません。配信元年の2015年から2019年の音楽業界は、アナログ時代の終焉から配信時代の到来という時代の過渡期にあたり、CDを作ろうにも工場や流通ルートが次々閉鎖される、配信しようにもまだまだ配信ストアが足りない(今は50社以上だが当時は10社もない)、と個人レーベルのミュージシャンたちはどちらにコストを掛けるべきか立ち往生を強いられる状態が続きました。それが2019年から配信システムの方が徐々に整い、さらに翌2020年のコロナ禍によりアナログツールが一斉に淘汰されたことで「CD時代は終了。今後は配信のみ」という判断が多くのミュージシャンにつくことになったわけです。この時代の過渡期にドンピシャで巻き込まれたため、hidekiは『本当のデビューは2015年なのに実質的なデビューは2019年』という妙な経歴になっています。
27歳(2005年)から作詞作曲を始めたhidekiですが、作った歌にボーカルを吹き込む(ボーカル学校に入所する)までに実に6年もの歳月が流れています。「なぜすぐに歌手を目指さなかったのか?」とよく聞かれますが、そもそも当時の音楽業界はまだアナログ(CD・レコード)時代であったため27歳のミュージシャンの募集枠自体なかったんです。そのため33歳でボーカル学校に入ってもなお歌手デビューが頭にないため「プロの歌手コース」ではなく月2回の「一般的なボーカルコース」を専攻しています。まさか2015年(37歳)に配信の時代が到来して「個人レーベルから歌手デビューする」など予想もしてなかったというわけです。
hidekiは27歳の誕生日から突然作曲を始めたわけですが、実はそれが初めてかと言えばそうでもなく、さらに10年さかのぼった17歳(高3)の頃に初めての作曲をしています。当時、同級生の女の子を題材にhidekiはアイドルソングのような歌を3つ作曲しました。そのうちの1曲を聴いた音楽顧問が「これ一人で作ったの?」「どうやって作ったの?」と真剣に聞いてきたのですが、hidekiは笑って受け流し、開花したはずの作曲能力とまともに向き合わなかったわけです。しかし、「そういや…なんであの時いきなり3曲も作れたんだろ??」という疑問だけはずっと残っており、そんな過去があっての27歳からの唐突な作曲(再開花)であると考えられます。
hidekiのボーカルに関してはひとえに努力の賜物です。誤解される方も多いのですが、hidekiの専門分野はあくまで創作分野(作詞作曲)であり、パフォーマンス分野(ボーカル)に関しての才能はありません。ただし、ボーカル学校にトータル11年も通い詰めていたため(そこまで練習する人もいないため)その成果が元々の歌唱センスにプラスされていることは確かです。もしも歌手を目指している若者がある程度の歌唱センスを持ち合わせているのなら努力次第でhidekiくらいにはなる、と覚えて頂ければ幸いです。
ためになるね〜🎵
hidekiは27歳からほぼ創作活動一筋でありLIVEのノウハウも人脈もないので今のところその予定はありません。繰り返しますがhidekiの専門はあくまで創作分野(作詞作曲)でありパフォーマンス分野(ボーカル)ではありません。ただ、30代の頃に何度もスポットでLIVE出演した経験があるのでステージに苦手意識はなく、あくまで「要望がなければやらない」という方針です。
hidekiのボーカル収録は一発録りです。他の歌手のように分割で歌っているのは、覚えてる限り『君なら大丈夫』(3rdアルバム)と『帰宅』(5thアルバム)くらいです。hidekiには他の歌手のようにスタッフが付いてるわけでもなく、また高機能の録音スタジオを使用してるわけでもないのでボーカル加工が一切できません。「それならば」と多少音が外れようが生で歌う臨場感を持ち味にしようと、デビューアルバムから一貫して一発録りの方針を取っています。当然ながら1曲につきスタジオで歌う回数は他の歌手の数倍となりますが、完成すれば「2度と同じものは生まれないボーカル」になっているというわけです。
hidekiがピアノの伴奏の習得したのは40歳からです。厳密にはキーボード奏者であることりゆうとSoLuaの影響を受けて30代後半(デビューアルバム制作中)からたどたどしく弾いていたのですが、本格的に弾き始めたというのは40歳からになります。親戚は特に「hidekiくんちピアノあったっけ??」と首を捻りますが(笑)、大人になってから学んだんです。
hidekiの音楽はボーカル以外すべて独学です。誰の助けも借りず1人で「作曲、編曲、ピアノ伴奏」を学びました。「仕事をしながらたった1人で音楽を学べるものなの??」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これについては27歳から38歳まで独学に適した夜勤シフト(昼夜逆転生活)だったことが非常に大きく、人的・物理的な誘惑が僅かでも入る昼間の勤務をしていたらむしろ音楽はやっていなかったかもしれません。
そうだったんだね〜🎵
未発表ではありますが、実はhidekiには子供を対象に作詞作曲したアルバム(全11曲)があります。すでに作詞作曲も終えアルバムタイトルまで付いているのですが、ボーカル収録中に「…やっぱ俺じゃねーや!笑」と子供向けの歌唱法の難しさからhidekiがボーカルを辞退してしまったため一部関係者に惜しまれつつもアルバム制作は頓挫してしまいました。ただ「没」にしたわけではなく、デモ音源は存在しているのであくまで「お蔵入り」という状態です。hideki自身は「いつか堀江美都子さんみたいな方に歌ってもらえれば♪」と密かに願っています。
hidekiには「お蔵入り」などではなく完全に没になったアルバムが一つだけあります。38歳の頃に「福岡」をテーマにアルバムを作ろうと試みたことがあり、それなりに曲も出揃ったのですが“感動が大キライ”という性格が災いし作業は一向に進みませんでした。テーマがテーマなだけにどうしても感動的な流れになってしまうため企画から1年後、ついに「やーめた!」とアルバム制作を打ち切り、歌詞のプリントもビリビリに破り捨て、完全な没としました。この経験からhidekiが「故郷」や「地元」を扱ったアルバムを作ることは二度とないと推測できます。
「多すぎる歌は聴き手を疲弊させ、アーティスト離れをも引き起こしてしまう」というのがhidekiの持論です。40代の今もこの考えに変わりはなく「生涯における(提供曲を除く)歌の公表は300曲以内まで」と決めています。ペンギンの知らない音楽会名義もあるため、おのずとhideki名義のアルバムは16〜18作品までで終了となります。
アルバムのジャケット画像もすべてhideki一人の手で作られています。これについては作曲のように一人で作ることに拘りを持っているわけではなく、単に近場に「作り手がいない」というだけの話です。幸いhidekiは美術方面に強い家系の生まれであるため、ジャケット制作をさほど苦に思わず楽しみながら作ってる節もあります。
まだまだ知りたいことがあったら言ってね〜🎵
Q&A🎤
身内と友人のためのQ&Aコーナーです。
「音楽のことがイマイチ分からない…💧」と
しょっちゅう言われるので
ぜひ参考になさって下さい♪
hidekiの音楽は基本的にロックです。セールスを目的とした楽曲制作をしていないため、皆さんが普段耳にしているであろうトレンディーなポップスとは別ジャンルの音楽となります。もともと「ザ・ビートルズ」の影響で作曲を始めたことからhidekiの音楽は60年代〜70年代の洋楽に近く、国内でいえば井上陽水さんに近いかもしれません。
hidekiは「ペンギンの知らない音楽会」という名義からもアルバムを発表しています。つまりW(ダブル)名義です。hideki名義では11曲以上、ペンギンの知らない音楽会名義では6曲前後のアルバムを発表しています。
hideki名義から発表しているアルバムは全てコンセプトアルバムです。コンセプトアルバムとは一つのテーマのもとに作られた短編小説のような(起承転結のある)アルバムのことです。1967年にザ・ビートルズ〈ポール・マッカートニー主導〉が制作したアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が不完全ではありますがそのはしりであるとされています。ただコンセプトアルバムはクラシック同様「芸術作品」として捉えられ、商業的要素を含まないことからレコード会社などからは敬遠される傾向にあり、音楽業界ではなかなか手を出せるシンガーソングライターがいないというのが現状です。その未開拓に近い分野に「個人レーベル」でもあるhidekiが舌なめずりしながら😋挑んでいるというわけです。
アーティスト名「hideki」は2022年の春から使用しています。それまでは「秀機」と表記していましたが海外需要が増えてきたことから将来的な混乱を回避すべくローマ字で統一することにしました。ちなみに「HIDEKI」(大文字)としなかったのは、単にパソコンのシフトボタンを押すのが面倒くさかったためです。
なるほど〜🎵
hidekiは2015年7月(37歳)に配信デビューしていますが、わずか一年(38歳)で配信終了し次の再配信の2019年2月(41歳)までに3年近くの空白期間を設けています。実はこの時期、hidekiと同じようにアルバムの発表を見送ったミュージシャンも少なくありません。配信元年の2015年から2019年の音楽業界は、アナログ時代の終焉から配信時代の到来という時代の過渡期にあたり、CDを作ろうにも工場や流通ルートが次々閉鎖される、配信しようにもまだまだ配信ストアが足りない(今は50社以上だが当時は10社もない)、と個人レーベルのミュージシャンたちはどちらにコストを掛けるべきか立ち往生を強いられる状態が続きました。それが2019年から配信システムの方が徐々に整い、さらに翌2020年のコロナ禍によりアナログツールが一斉に淘汰されたことで「CD時代は終了。今後は配信のみ」という判断が多くのミュージシャンにつくことになったわけです。この時代の過渡期にドンピシャで巻き込まれたため、hidekiは『本当のデビューは2015年なのに実質的なデビューは2019年』という妙な経歴になっています。
27歳(2005年)から作詞作曲を始めたhidekiですが、作った歌にボーカルを吹き込む(ボーカル学校に入所する)までに実に6年もの歳月が流れています。「なぜすぐに歌手を目指さなかったのか?」とよく聞かれますが、そもそも当時の音楽業界はまだアナログ(CD・レコード)時代であったため27歳のミュージシャンの募集枠自体なかったんです。そのため33歳でボーカル学校に入ってもなお歌手デビューが頭にないため「プロの歌手コース」ではなく月2回の「一般的なボーカルコース」を専攻しています。まさか2015年(37歳)に配信の時代が到来して「個人レーベルから歌手デビューする」など予想もしてなかったというわけです。
hidekiは27歳の誕生日から突然作曲を始めたわけですが、実はそれが初めてかと言えばそうでもなく、さらに10年さかのぼった17歳(高3)の頃に初めての作曲をしています。当時、同級生の女の子を題材にhidekiはアイドルソングのような歌を3つ作曲しました。そのうちの1曲を聴いた音楽顧問が「これ一人で作ったの?」「どうやって作ったの?」と真剣に聞いてきたのですが、hidekiは笑って受け流し、開花したはずの作曲能力とまともに向き合わなかったわけです。しかし、「そういや…なんであの時いきなり3曲も作れたんだろ??」という疑問だけはずっと残っており、そんな過去があっての27歳からの唐突な作曲(再開花)であると考えられます。
hidekiのボーカルに関してはひとえに努力の賜物です。誤解される方も多いのですが、hidekiの専門分野はあくまで創作分野(作詞作曲)であり、パフォーマンス分野(ボーカル)に関しての才能はありません。ただし、ボーカル学校にトータル11年も通い詰めていたため(そこまで練習する人もいないため)その成果が元々の歌唱センスにプラスされていることは確かです。もしも歌手を目指している若者がある程度の歌唱センスを持ち合わせているのなら努力次第でhidekiくらいにはなる、と覚えて頂ければ幸いです。
ためになるね〜🎵
hidekiは27歳からほぼ創作活動一筋でありLIVEのノウハウも人脈もないので今のところその予定はありません。繰り返しますがhidekiの専門はあくまで創作分野(作詞作曲)でありパフォーマンス分野(ボーカル)ではありません。ただ、30代の頃に何度もスポットでLIVE出演した経験があるのでステージに苦手意識はなく、あくまで「要望がなければやらない」という方針です。
hidekiのボーカル収録は一発録りです。他の歌手のように分割で歌っているのは、覚えてる限り『君なら大丈夫』(3rdアルバム)と『帰宅』(5thアルバム)くらいです。hidekiには他の歌手のようにスタッフが付いてるわけでもなく、また高機能の録音スタジオを使用してるわけでもないのでボーカル加工が一切できません。「それならば」と多少音が外れようが生で歌う臨場感を持ち味にしようと、デビューアルバムから一貫して一発録りの方針を取っています。当然ながら1曲につきスタジオで歌う回数は他の歌手の数倍となりますが、完成すれば「2度と同じものは生まれないボーカル」になっているというわけです。
hidekiがピアノの伴奏の習得したのは40歳からです。厳密にはキーボード奏者であることりゆうとSoLuaの影響を受けて30代後半(デビューアルバム制作中)からたどたどしく弾いていたのですが、本格的に弾き始めたというのは40歳からになります。親戚は特に「hidekiくんちピアノあったっけ??」と首を捻りますが(笑)、大人になってから学んだんです。
hidekiの音楽はボーカル以外すべて独学です。誰の助けも借りず1人で「作曲、編曲、ピアノ伴奏」を学びました。「仕事をしながらたった1人で音楽を学べるものなの??」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これについては27歳から38歳まで独学に適した夜勤シフト(昼夜逆転生活)だったことが非常に大きく、人的・物理的な誘惑が僅かでも入る昼間の勤務をしていたらむしろ音楽はやっていなかったかもしれません。
そうだったんだね〜🎵
未発表ではありますが、実はhidekiには子供を対象に作詞作曲したアルバム(全11曲)があります。すでに作詞作曲も終えアルバムタイトルまで付いているのですが、ボーカル収録中に「…やっぱ俺じゃねーや!笑」と子供向けの歌唱法の難しさからhidekiがボーカルを辞退してしまったため一部関係者に惜しまれつつもアルバム制作は頓挫してしまいました。ただ「没」にしたわけではなく、デモ音源は存在しているのであくまで「お蔵入り」という状態です。hideki自身は「いつか堀江美都子さんみたいな方に歌ってもらえれば♪」と密かに願っています。
hidekiには「お蔵入り」などではなく完全に没になったアルバムが一つだけあります。38歳の頃に「福岡」をテーマにアルバムを作ろうと試みたことがあり、それなりに曲も出揃ったのですが“感動が大キライ”という性格が災いし作業は一向に進みませんでした。テーマがテーマなだけにどうしても感動的な流れになってしまうため企画から1年後、ついに「やーめた!」とアルバム制作を打ち切り、歌詞のプリントもビリビリに破り捨て、完全な没としました。この経験からhidekiが「故郷」や「地元」を扱ったアルバムを作ることは二度とないと推測できます。
「多すぎる歌は聴き手を疲弊させ、アーティスト離れをも引き起こしてしまう」というのがhidekiの持論です。40代の今もこの考えに変わりはなく「生涯における(提供曲を除く)歌の公表は300曲以内まで」と決めています。ペンギンの知らない音楽会名義もあるため、おのずとhideki名義のアルバムは16〜18作品までで終了となります。
アルバムのジャケット画像もすべてhideki一人の手で作られています。これについては作曲のように一人で作ることに拘りを持っているわけではなく、単に近場に「作り手がいない」というだけの話です。幸いhidekiは美術方面に強い家系の生まれであるため、ジャケット制作をさほど苦に思わず楽しみながら作ってる節もあります。
まだまだ知りたいことがあったら
言ってね〜🎵